伊東博、友田不二男など、カウンセリングに関する書籍は多数あります。
このような本は、一度読んですべての内容が理解されるという性質のものではないと考えられますが、時間を置いて一度読んだ本を読み返してみると、以前とは違う印象を受ける場合があります。
このようなことを経験された方は、カウンセラーに限らず、多くの分野にいらっしゃるのではないでしょうか。
読み手の経験
本そのものは大きく変化しません。無くしたりせず同じ本を読んでいるのならば、内容が変わってしまうことはありません。時に図書館で読んだ本を、時間を置いて別な図書館で読むと内容が異なっているという経験をすることがありますが、それは年月の流れによる本の改定などが事情になります。
今回の本題は本の側の変化ではなく、読み手側の変化ということになります。
本を読む側は、様々な体験を経た後に、もう一度その本を手に取ってみると、いかに自分の理解が浅はかであったことかを思い知らされることもあります。
理屈と実践は異なる
本を読んで、カウンセリングの理論などを理解したつもりになるものです。
例えば、共感や受容とはどういうことなのか、こういうことがカウンセリングの本には記されています。
しかし、ロジャーズが言わんとしたその実際に迫ることは、容易でないことを誰しも知っています。
現場に出ては、自分の無力さや至らなさを痛感するものであります。
そして、コツコツと実践を続ける中で、改めて、本を読み返してみると、以前とは別な感触を覚えることがあります。
以前は読みこなせなかった部分がすらすら読めると感じることもあれば、逆に、一行一行の重みに気づき、なかなか読み進められなくなってしまうこともあります。
そして、時に、あの感覚が共感ということだったのか・・・などと、実践した中で体験した感覚と合致する体験が起こることもあります。
だいたいの物事はまず実践がある
カウンセリングを学ぶ場合には、どうしても理屈からはじまりがちですが、スポーツや武道を学ぶような場合には、理屈の説明は、本当に後回しです。
走り込んでみたり、ボールを投げ合ったりすることが先で、理論的な学習は、3年後くらいになることもあると思います。
確かに、ボールの投げ方を本を読んで理解するより、先輩の投げる様子を見たり、直接教えてもらう方が、上達は早いでしょう。
カウンセリングはスポーツと同じように考えられるものではありませんが、ロールプレイなりなんなりを体験することの方が重要なのかもしれません。