昨今、保育士にも特に注目が集まっています。
共働きの増加一つを取っても、その役割の重要性はすぐに理解されます。
一方で、保育士が抱えるストレスはどのような状況なのでしょう。
保育士のストレス
待機児童問題は記憶に新しい所ですが、コロナウイルスの蔓延によって状況が複雑になっていた模様です。利用控えなどもあり待機児童数が減ったと聞きます。また、コロナが一段落つくことにより、新たな局面を迎えるのでしょうか。
人手不足はあらゆることをギスギスさせる
保育士に限ったことではありませんが、人手不足の中、業務を遂行することは非常に大きな負担を生みます。また、歪みを生み、人間関係に影を落とす事さえあります。
体調不良でも、休めず出勤している方もあるのでしょうか。
これが解消されれば、もしかしたらはだいたいのことは緩和されるのかもしれません。
保育士の有効求人倍率は2.5倍
参考サイト:厚生労働省図表1-2-59 保育士の有効求人倍率の推移(全国)
このように、令和3年において全職種の有効求人倍率が1.03なのに対して、保育士は2.50と高水準になっています。平成24年からの9年間で2.5倍です。令和元年においてはほぼ3倍です。
保育現場特有の人間関係
これもどこの職場、世のなかにも登場するものではありますが、保育現場特有の人間関係の悩みは存在するのではないでしょうか。段々と男性保育士も増えてはいますが、圧倒的に女性が多いようです。
保護者との関係
広い意味では人間関係ですが、送迎の保護者とは毎日顔を合わせる仕事です。これは同じく子供を担当する教員との違いになります。機関によっては、「バス通園」で、直接的に保護者と顔を合わせる機会が少ないこともあるのかもしれません。
保護者側も我が子がどんな様子だったのか非常に気になるところでしょう。連絡帳のようなものでもやり取りをしています。
安全面への配慮に神経を要する
子供たちが安全に過ごせるよう、常に意識する必要があり、相当に気の張る仕事です。責任が重い役割で、いかなる状況でもこれだけは外すことが出来ません。
一人や二人の子供ではなく、何十人も元気に歩き回っている現場なのですから大変な事です。
かといって、本当に充分な休憩がとれているのでしょうか?
気持ちも疲れれば、体の疲労も強い
安全面に気を張りながらも、子供たちと一緒に走ったり、跳ねたりと体力面も相当な消耗があるはずです。毎日体調万全で臨めるものではありませんが、子供たちは無尽蔵に元気なのです。
緊張の持続する現場では、頭痛や肩こり、イライラするなど各種ストレス反応が生じることもあります。
大変かつ重要な役割を担っている仕事ではあるが、なぜか待遇面が不十分である
このように、大変重要な役割を担っている保育士ですが、なぜか待遇面が薄いのです。
保育の現場に限ったことではないかもしれませんが、それにしても待遇面は軽視されるべきではありません。もちろん、この点に関しては臨床心理士も負けてはいないでしょう。
全職種 | 保育士 |
340.1千円 | 266.8千円 |
参考サイト:賃金構造基本統計調査 / 令和4年賃金構造基本統計調査 一般労働者 産業大分類
対人援助職は、これらを度外視してでも人の役に立とうとする傾向が強い職種です。
保育士のストレス対処
上記のようなストレス状況からすると、精神的・肉体的な消耗、疲労へのケアは重要であると考えます。悩みの内容ということもありますが、それらはかなり個別的なケアとなるでしょう。
一人の人間であることを思い出す
当然の話なのですが、対人援助職は人間であります。先に述べたように、自分自身のことを度外視して、人のために働き続けることは、短期的には可能でも、長期には不可能な事です。誰も休みなしに働き続けることはできません。食事や睡眠をしっかりとったりすることは当然やっていいことなのです。当然の権利でもあれば、それが相手のためにもなります。
リラクゼーションは、保育士が直面する心身の消耗にも活用できる
これは臨床心理学的方法になりますが、各種リラックス法も知っておいて損はないと思います。
保育士のような対人援助職であれば、ペアで行う手もより現実的になります。
この点は、当オフィスの勉強会なども一つご活用いただけるのではないかと考えております。
忙殺され本来的なやりがいを見出せなくなっているが、そんな自分を責めない事
一体私は、なぜ保育士になったんだっけ・・・

確かに、保育士になりたいっ!って思ったのよ・・・気が付いたらいつも子供たちを怒ってばっかりだわ。。
つまりは、忙殺により本当に考えたい事や力を込めたいことを遮られうやむやにされてしまっている可能性があります。この場合、勉強会へ参加してみるなどと考えたくもなりますが・・・やはり余裕を寄り戻すことが先決しょうか。自分を責めない事です。
まとめ
これからの社会は益々、保育士を必要とする方向へ向かっていく模様です。保育士自身が安心して従事できる環境であることが同時に求められます。
社会の要望は存在しますが、それは誰かを犠牲にしていいという事ではないではなりませんか。