かつての日本の武士のように、貴方は何派ですか?という質問を受けることはあまりありません。ですが、オリエンテーションは?と尋ねられる機会は多々ありました。
オリエンテーションとはまた、不思議な表現を持ち出すものです。
流派の感覚は薄れているかのようだが、やはりあるようにも思う
現在の感覚として、「私は~派のカウンセラー」という認識の方は少なくなっているのではないかと個人的には考えています。ですが、中心的に学んできた理論や学派ということについては、多くの心理臨床家が意識しているように思います。
これは、少なくとも私が知り合ったカウンセラーの中での話であり、また他の経験をしているカウンセラーもいると思います。
自分が受けて来た教育が最も優れているというこだわり
時に問題になるのは、自分が受けて来た教育への拘りです。
カウンセラーの分野でなくとも、同様の事は起きるのだろうと思いますが、このこだわりが強く出ると摩擦を生んだりします。
プライドを持つことは大事な事だと思いますが、我々はあくまで援助職者であることを決して忘れるべきではありません。自分が偉くなるために勉強しているのではなく、綺麗ごとのように聞こえるかもしれませんが、社会へ貢献することを目的としているものです。
補い合える存在同士
流派の違いが存在することはメリットも大きいものです。
もし、あるカウンセリングが合わないと感じた時、別な流派のカウンセラーであれば補えるかもしれません。
例えば、言葉を用いる方法が主流と言えますが、動作を用いる学派もあります。
これは、がらっと印象の違うカウンセリング体験を持っています。
ですが、お互いを尊重し合っていなければそういう発想はそもそも生まれません。
おごり高ぶりのようなことにカウンセラーがはまっているのは、やはり良い事ではないようです。
これはカウンセラー同士の話だけではなく、カウンセラーと他職種の関係についても同様の事が言えます。
カウンセラーが自分一人で何かしているなどおごりはじめると、それは散々な結果をもたらします。
逆にカウンセリングなどこの世の中に不要だなどと偏屈になり過ぎるのもまた問題と言えるでしょう。